ロビンソンや15少年など、有名な漂流記がありますが、我が国、日本でも大黒屋光太夫という人が壮大な漂流記(さらに続くロシアへの旅)を残しています。
漂流記と言うと、比較的、南国のイメージがありますが、大黒屋光太夫の漂流したのは日本の北なので、極寒の中、しかも1月の海をあてもなく揺られて行くことになったわけです。めちゃくちゃ寒いので、無事に済むはずもなく、その間、乗組員が1人死んでいます。
ようやくたどり着いた、アムトチカ島は、日本の北方領土どころか、樺太でも千島列島でもなく、アリューシャン列島の一島でした。支配者のロシア人と、原住民とコミュニケーションをとりながら、何とか生き延びようと必死に努力して、ロシア語まで習得しますが、最初16人いた乗組員は次々死んでいき、この島で6人が亡くなります。光太夫はあくせく動きながら、工夫する気力を失った人から死んでいく、適者生存の法則を感じたかもしれません。
それでロシア人の迎えの船がやってくると言うことで、ようやく助かったと、光太夫たちは喜ぶわけですが、なんとその船が沈没してしまいます。
絶望に絶望が重なる、野島伸司のドラマくらいえげつないですが、そこで彼らは、日本の船の残骸とロシアの船の残骸を集めて船を作り、かろうじてロシアにたどり着くのです。
それで光太夫たちは日本に帰れるかと思いきや、当時ロシアは日本との貿易を望んでいて、光太夫達は遥か西へと連れていかれる事になるのです。
私も今、無人島にでも漂流したような心境ですが。検査で所見が見られない以上、島から抜け出すには、自分で船を作るしかないんだろうなと思っています。