歴史に学ぶ・第3回「永遠の0、物語としての歴史」

ゼロ戦のイメージ 歴史

百田尚樹さんという作家がいて、滅茶苦茶面白い小説を書くお方なんですが、なにが面白いかって、書かれていない部分を読者に魅せるのが滅茶苦茶上手いんですね。わかりやすい話なのに中でやっていることは結構複雑になっていて、踏んできた場数が違うのかなって感じさせます。

そんな百田さんは過去に永遠の0という日本の特攻隊を扱った小説を書いていて、それが相当に美化されたものであることから、ネット上で散々叩かれたというか喧嘩していました。美化されていたというか、真に不快なものが作品から除外されているのですね。同じ戦争でも、例えばはだしのゲン的史観で見れば感動より悲惨さや重苦しさが残るわけでして、こっちが真実に近いと私は思っているのですが、歴史小説というのはあくまで作者の視点によって綴られるもので、真実だと思ってはいけないわけですね。

しかし歴史で言えば三国志演義も、歴史を元にした物語でしかないわけですが、創作の部分を真実だと思っている方は多いのではないでしょうか。劉備は聖人君子となり、関羽は人格者、孔明は最強の軍師、馬超は悲劇のヒーローみたいな。我々が朽ち果て、300年経った日本の後継国の青年が、永遠の0を真実と認識しているかもわかりません。三国志演義がこうまで影響力があるのは、あまりにも面白いからですからね。百田さんの作品も少なくともサービス精神旺盛でとても面白いので、可能性は無きにしもあらずです。

しかし300年も経つと今ほど問題にはならないのでしょうね。戦国時代にあくどい事をした武将をどれだけ美化したところで、大した火花は立たないわけで。豊臣秀吉とかは別かな。

信長を扱った史料も、真面目に書かれたものはつまらなく、脚色を入れて面白くしたものが織田信長その人と認識されていることも多いとか。当時の武将が読んで「これ嘘ばっか書いてるよ」とぼやいたそうですが「真実より面白い虚構が勝つ」ということがたくさんあるのだなと思います。

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